▍神秘清幽的聖山🏔️ #湯殿山神社
作為 #山羽三山(出羽是 #山形縣 和 #秋田縣 的舊稱)的最後一站,像徵重生的 #湯殿山 可以說是參拜巡禮最後的難關。由於通往湯殿山神社入口的定時巴士已經停駛,若想前往湯殿山神社除了自駕遊🚘之外,就只能仿照古時的參拜者從 #月山神社 下山走過去了🚶🏻。
不過辛苦是絕對會有回報的!🎊
先不說沿途環繞的山谷風光,鮮有人煙的聖山和神社讓人可以擺脫凡塵俗事,就好像進入了世外桃園一樣呢!更不如說此處獨有的淨身儀式,想要參拜本宮的人除了必須赤腳👣前往之外,都先要用人形的小紙籤擦身再吹一口氣放入水中,象徵把身上的污穢都除去呢!
由於神社本宮是超~級嚴禁任何拍攝的🚫📹🚫📷,所以要一窺神社本宮面貌一定要親身去一次這個神秘的湯殿山神社囉!
【湯殿山神社】
☗地址:鶴岡市田麦俣字六十里山7番地
☗神社本宮入場費:500円
☗湯殿山本宮參拜巴士車資:大人 單程 200円 來回 300円
小童 單程 100円 來回 200円
☗開放期間:4月27日~11月3日(視乎冬季積雪程度可能更改封山日期)
☗開放時間:8:30~16:00
☗交通:
經112國道,從湯殿山IC約40分鐘車程,月山IC約30分鐘車程到達停車場。然後轉乘本宮參拜收費巴士或步行20至30分鐘前往湯殿山神社本宮
有充足登山經驗及登山裝備者可從月山山頂的下山路徑步行約2小時30分鐘直接到達湯殿山本宮
4-11月上旬的每個星期六,星期日及指定日子可乘來往湯殿山~羽黒山~鶴岡駅的特別接駁巴士,詳情如下
http://www.shonaikotsu.jp/tourism/shuttlebus.html
☗網址:http://www.dewasanzan.jp/publics/index/16/
☗收費巴士網址:http://www.shonaikotsu.jp/tourism/toll_yudono.html
#山形 #Yamagata #神秘 #清幽 #世外桃園 #赤腳 #神社嚴禁拍攝 #人形小紙籤
同時也有14部Youtube影片,追蹤數超過343的網紅KOTARO【Hiker's Report】,也在其Youtube影片中提到,南アルプスの北岳へテント泊登山をしてきました。 さすが標高第二位の山、しっかり標高を稼いでいくルートは寝不足の身体にはキツく、 おまけに天気予報に反し視界不良の時間が多く、登り時はなかなかモチベーションが上がりませんでした。 反面、ガスが抜けた時は、雄大な南アルプスの山々が草紅葉と共に一望でき、これ...
山羽三山 在 KOTARO【Hiker's Report】 Youtube 的最讚貼文
南アルプスの北岳へテント泊登山をしてきました。
さすが標高第二位の山、しっかり標高を稼いでいくルートは寝不足の身体にはキツく、
おまけに天気予報に反し視界不良の時間が多く、登り時はなかなかモチベーションが上がりませんでした。
反面、ガスが抜けた時は、雄大な南アルプスの山々が草紅葉と共に一望でき、これは本当に感動的な景色でした。
ハードでしたが、結果良い山行になりました。
■コースタイム
奈良田に駐車し、広河原までバスで移動しました。
広河原〜白根御池小屋:2時間
白根御池小屋〜小太郎尾根分岐:2時間30分
小太郎尾根分岐〜北岳肩ノ小屋:40分
北岳肩ノ小屋〜山頂:40分
■ルート解説
・登山口の広河原に向かうには、芦安か奈良田からバスに乗る必要があります。翌日の天候・体力次第で三山縦走も考えていたので今回は奈良田に車を停めました。奈良田の駐車場は広く、5:10着でもかなり余裕がありました。
バスの本数は芦安⇄広河原の方が多いです。
▽バスの時刻表(山梨交通)
http://yamanashikotsu.co.jp/route_bus/route_sp_info/hirogawara/
・距離が長くない分、前半からしっかり登って標高を上げていきます。白根御池小屋からも急登(草すべり)です。ベンチ以外にもスペースがいくつかあるので、こまめに休憩を挟んだ方がいいです。
・御池小屋には水場があるので、そこで補給する事を前提に水分は少し軽くして行ってもいいと思います。
・土曜の12時肩ノ小屋着で一番人気のテントサイトAはいっぱいでした(北岳山荘が休業していたことも影響しているかとは思います)。
・北岳山頂から北岳山荘へは、視界があるとなんて事ないのですが、暗い上にガスの視界不良だと怖く、かなり注意が必要でした。
■装備/服装
・テント:ゼログラム/エルチャルテンプロ2P
・シュラフ:イスカ/エアドライト480
・エアマット:ニーモ/テンサーインシュレーテッドマミー
・ダウンパンツ:マウンテンイクイップメント/パウダーパンツ
・ライトダウン:ユニクロ/ウルトラライトダウン
・ザック:ケイル/ペクドゥ2
【ゼログラム】のエルチャルテンは、フライとフットプリントが一体になっていて疲れていてもかなり組み立てやすいです◎
基本行動着は、山と道のメリノTの上にバンブーシャツを羽織り、下半身は同じく山と道のDW 5-Pocket Pantsです。
テン場に着いてからは寒く、ノローナの化繊ジャケットを羽織っています。
▽山と道 DW 5-Pocket Pantsレビュー
https://youtu.be/ryUkcOLwd1s
▽山と道 バンブーシャツ レビュー
https://youtu.be/fU1ojYc2iCc
■他のアルプスの動画もご覧ください!
▽【テント泊登山】涸沢と北穂高|瑞々しい夏の北アルプスと3,000m峰の大パノラマ
https://youtu.be/0uumBSNlHJI
▽【北アルプス縦走】憧れの黒部源流域!鷲羽岳と雲ノ平を巡る3日間の絶景登山
https://youtu.be/-3zdVZzb2TI
■Instagram
@kotaro_photography
https://www.instagram.com/kotaro_photography/
#テント泊登山 #南アルプス #北岳
山羽三山 在 KOTARO【Hiker's Report】 Youtube 的最佳解答
歩行距離50km、累積標高差4000m。
日本最後の秘境と言われる、雲ノ平を始めとした黒部原流域を旅してきました!
日本離れした奥深い山々の絶景に浸った3日間となりました。
直前まで雨予報だったのですが、蓋を開けてみると3日間で雨に降られたのは一瞬で、
晴れるか降られるかの瀬戸際だからこその幻想的な景色の数々に出会うことができました。
■コースタイム
今回は三俣山荘に2泊し、鷲羽岳と雲ノ平まで足を伸ばしています。
コースタイムを記しますが1日で三俣山荘まで歩くので、体力に自信のある方向けの行程になります(※休憩時間は抜いています)。
▽1日目
新穂高〜鏡平山荘(4時間)
鏡平山荘〜双六小屋(3時間)
双六小屋〜巻道ルート〜三俣山荘(2時間30分)
▽2日目
三俣山荘〜鷲羽岳〜三俣山荘(2時間)
三俣山荘〜黒部源流域(30分)
黒部源流域〜祖父岳(1時間20分)
祖父岳〜雲ノ平山荘(1時間30分)
雲ノ平山荘〜三俣山荘(2時間30分)
▽3日目
三俣山荘〜三俣蓮華岳〜双六岳(2時間)
双六岳〜新穂高(4時間)
■ルート解説
・至る所で水の補給が可能なので、最初から多く持っていかなくても大丈夫です。荷物を少しでも軽くするために出発時は1リットルほどで、その都度補給しました。
・山荘も多いです。体力に自信のない方は、初日で鏡平山荘or双六小屋で宿泊することをオススメします。
・2日目、三俣山荘から黒部源流まで下った後の登り返しがキツかったです。
ただ、登り切ってから右手に水晶岳、左手に槍ヶ岳(今回は雲がかかって見えませんでした)を眺めながらの稜線歩きは最高です◎
・雲ノ平から三俣山荘へは祖父岳を経由せず、西側のルートを使いましたが、黒部源流域へかなり急な坂を下りていきます。
登りだとかなりキツいはずなので、三俣山荘から雲ノ平までは祖父岳を経由することをオススメします。
■持ち物や服装
今回は初めての2泊ということで、荷物は極力減らしています。
→小屋泊で、且つ水分の心配がそこまで要らないので、40ℓのザックに収まりました。
持参した食料は2日目の朝・昼、3日目の朝のみで、あとは小屋のご飯をいただきました。
その代わりに、行動食は多めに持っていきました。
服装は、モンベルのジオラインの上に山と道のバンブーシャツを常時着ていました。
▽山と道 バンブーシャツ レビュー
https://youtu.be/fU1ojYc2iCc
■他の北アルプスの動画もご覧ください!
▽【北アルプス縦走】不帰キレットと紅葉の白馬三山!国内屈指の難関ルートに挑む絶景登山
https://youtu.be/mY09R6DAon4
▽【登山】残雪の燕岳|新緑の森歩きと北アルプスの大パノラマ
https://youtu.be/kPVTOAtNmVw
■Instagram
@kotaro_photography
https://www.instagram.com/kotaro_photography/
#登山 #北アルプス #雲ノ平
山羽三山 在 Dd tai Youtube 的精選貼文
頤和園是清朝的皇家行宮和大型皇家園林,位於中國北京市海淀區西北,占地290公頃(合4400畝)。頤和園修建於清朝乾隆年間(原名清漪園)、重建於光緒年間,曾屬於清朝北京西郊三山五園之一。頤和園素以人工建築與自然山水巧妙結合的造園手法著稱於世,是中國園林藝術頂峰時期的代表。1998年,頤和園被評為世界文化遺產。頤和園以萬壽山和昆明湖為主,昆明湖占頤和園總面積的四分之三。除了湖山,還有殿堂景區、耕織圖景區。重要建築集中在萬壽山南北中軸線上。萬壽山分為前山、後山兩部分,前山自東向西有養雲軒、無盡意軒、介壽堂、排雲殿、清華軒、寶雲閣、共一樓、聽鸝館、畫中游等知名景觀。後山南北中軸線為規模宏大的漢藏風格寺廟殿宇,包括四大部洲、須彌靈境、香岩宗印之閣等等,周圍點綴以數座小型山間園林,有蘇州街、寅輝城關、花承閣、賅春園、繪芳堂等建築。昆明湖中有三座島嶼,分別名為南湖島、藻鑒堂島、治鏡閣島。昆明湖由一條西堤將大湖一分為二,光緒時建立圍牆,修築起了東堤。
頤和園的主要區域可包括六個部分,分別是殿堂景區(是帝後料理朝政和住宿所在)、萬壽山景區、昆明湖景區、耕織圖景區(獨特的農牧色彩)、長廊景區和中軸景區(起於前山雲輝玉宇牌樓,止於後山慈福慧因牌樓)。作為一座知名園林博物館,擁有豐富制式的園林建築和景觀營造手法,涵蓋了中國傳統名著中的亭台樓閣,軒榭台堂。
東宮門:為頤和園的正門。門前有兩隻銅獅,是清漪園遺物。宮門前的雲龍石階是圓明園安佑宮遺物。門額上「頤和園」三字為光緒帝御筆親賜。宮門前有大廣場,南北兩側為朝房,前有大影壁。
仁壽殿:在頤和園東宮門內,是慈禧太后、光緒帝夏天住在頤和園中臨朝聽政,接受恭賀,以及接見王公大臣和外國使節的地方,這裡也曾經是光緒皇帝頒詔實行變法維新的地方。始建於乾隆十五年(1750年)命名為勤政殿,意為不忘勤理政務。咸豐十年(1860年)遭到英法聯軍焚毀,光緒十二年(1886年)慈禧太后重建時,改為現名,意為施仁政者長壽之意,是頤和園聽政區的主要建築。殿為東向,面闊九間,單檐卷棚歇山頂,兩側有南北配殿,前有銅麒麟、壽星石,以及銅龍銅鳳的雕像,排列在仁壽殿外。是皇帝,皇后在舉行朝會大典時會點燃檀香。在中國古代龍就是皇帝的象徵,鳳就是皇后的象徵。按照慣例是龍在上,鳳在下,但是自慈禧太后掌權之後,就將龍,鳳的位置給顛倒變成鳳在上,龍在下,藉此來顯示出慈禧太后的權威。殿外懸掛著「大圓寶鏡」的匾額,意為當政者的智慧如同大圓寶鏡一樣,能夠洞察一切。殿內則是高懸著「壽協仁符」的金字匾額,意為仁與壽君子兼而有之。正殿內設置慈禧太后,光緒帝召見王公大臣時的寶座,寶座是用上等的紫檀木雕刻而成,椅背上刻有九條金龍,寶座的旁邊設有掌扇,鼎爐,鶴燈。東為仁壽門。殿北有水井「延年井」,殿後為巨大的獅子林假山,仿蘇州獅子林,堆山所用的劍石、石筍為圓明園正大光明殿後假山遺物。
玉瀾堂:在仁壽殿西,始建於乾隆十五年(1750年),咸豐十年(1860年),光緒十八年(1892年)重建,成為皇帝在頤和園中處理政務和居住的地方。正殿即玉瀾堂,堂名是取自晉代詩人陸機的詩句「玉泉甬微瀾」當中的「玉」和「瀾」二字合併而成。內設有御案寶座。原為一四通八達的穿牆殿,光緒皇帝曾經被慈禧太后囚禁於此,因此殿北的後門用磚牆砌死。前院東配殿名霞芬室,西配殿為藕香榭,兩殿的門內亦可見圈禁光緒帝的圍牆,是一處重要的歷史遺蹟。正殿地磚上原有坑窪洞痕,為光緒帝被囚禁時用手杖擊地發泄而成。玉瀾堂西側另有夕佳樓,樓西為鄰水過道,蜿蜒曲折,稱為「九道灣」。
宜芸館:在玉瀾堂北面,乾隆時是藏書之所,光緒年間改建為光緒皇帝的皇后隆裕的居所。院門為垂花門,稱宜芸門,門內側牆壁上有10塊石刻,是乾隆帝摹寫的名家法帖,原藏於惠山園內,重建時移此。正殿為宜芸館,東配房稱道存齋,西配房稱近西軒,均沿用乾隆時舊名。戊戌政變後,玉瀾堂與宜芸館之間的通道也被磚牆切斷。宜芸館北門有飛閣復道通至德和園戲台。
德和園大戲樓:頤和園中看戲的地方,原為乾隆時期的怡春堂。樓高21米,三層,結構與圓明園同樂園清音閣和避暑山莊清音閣相同(與紫禁城暢音閣不同的地方在於其外形是卷棚頂,且覆灰瓦),是清朝最大的戲樓之一,三層舞台間有天地井相通,南部有兩層的扮戲樓,北部為看戲用的頤樂殿。德和園之東為「東八所」(壽膳房、壽茶房、壽藥房)、養花廠和武備院等服務性院落,現被隔出頤和園,改為頤和安縵酒店。
樂壽堂:是慈禧太后在頤和園中居住的地方,始建於乾隆十五年(1750年),咸豐十年(1860年)遭到英法聯軍燒毀,光緒十三年(1887年)重建。門外有水木自親碼頭,有牌坊,是清宮中最早安裝電燈的地方之一。院子分為三路,中路樂壽堂為慈禧太后的居所,中部為起居空間,裡面設有用上等木材紫檀木雕刻而成的「御案寶座」後面放著十五折的玻璃屏風,兩側設有羽毛掌扇,羽毛掌扇不但裝飾精美,也可以顯示出慈禧太后的威儀。西間為寢宮,東間為更衣室。堂前陳列銅鹿、銅鶴、寶瓶,取「六合太平」諧音。寢宮內的文物有用珍珠、瑪瑙、翡翠製成的花籃,用金銀和各種寶石鑲嵌的四季花卉壁畫等。樂壽堂前有明代米萬鍾遺留的「青芝岫」巨石,院中栽培玉蘭、海棠、牡丹,取「玉堂富貴」之意。後院原有乾隆時期遺留之古玉蘭樹,2005年枯死移除。東跨院後半部稱「永壽堂」,為太監總管李蓮英住所。西跨院北部有假山,以及坐落於山上的扇面殿「揚仁風」。揚仁風院落西南角即長廊入口。
長廊:東起樂壽堂西院,西至石丈亭。長廊長達728米,共273間,其間點綴以留佳、寄瀾、秋水、清遙四座亭子,以及魚藻軒、對鷗舫兩座對稱的點景建築。長廊背山面水,平面呈展翅蝙蝠形狀(取福字諧音),不僅把各處景點有機地串聯起來,本身也是頤和園中一處最有名的景觀,長廊上有西遊記、三國演義、紅樓夢、西湖風景、二十四孝、中國古代詩歌和神話故事(如張敞畫眉、牛郎織女、張良納履等)、山水花鳥等圖畫,共計一萬七千餘幅。
排雲殿:在萬壽山前山中部的建築中軸線上,原址為大報恩延壽寺,1892年重修,是慈禧太后做壽時接受賀拜、舉行慶典的地方。「排雲」二字出自晉朝人郭璞「神仙排雲出,但見金銀台」的詩句。排雲殿正門為排雲門,門前有雲輝玉宇牌坊,兩側有十二屬相石。排雲門和二宮門之間有方形的蓮池,池上架金水橋,兩門內分別有紫霄、玉華、芳輝、雲錦四座配殿。排雲殿正殿為頤和園內等級最高的建築,建在九級漢白玉台基上,七間五進,重檐歇山頂,黃琉璃瓦,左右兩側有耳殿,各殿之間有復道相連,橫列共計二十一間。排雲殿之後為德輝殿,再後為高42米的石砌高台,沿台前八字樓梯「朝真磴」可向上通往佛香閣。排雲殿東為介壽堂,西為清華軒,清朝時均為命婦退居之所,現被頤和園作為別墅出租,不對遊人開放。介壽堂內有連理柏和紫玉蘭各一株,頗為名貴。
佛香閣:位於萬壽山前山正中位置,為鐵力木修建的八角形三層樓閣,高41米,上覆綠剪邊黃琉璃瓦,是頤和園內體量最大的建築。閣內供奉接引佛,每月朔望,慈禧太后在此燒香禮佛。佛香閣原為九層佛塔延壽塔,修築到第八層時乾隆帝下令拆毀,仿武昌黃鶴樓改建閣樓。
智慧海:位於萬壽山山巔,為無梁佛殿,全部為五色琉璃磚砌成,色彩絢麗,圖案精美,壁面嵌有1000多尊佛像。外牆下半部琉璃磚上的佛像頭部在文化大革命中被悉數鑿毀。殿內觀音像為乾隆時所造。殿前有琉璃牌坊,其上石額構成「眾香界」、「祗樹林」、「智慧海」、「吉祥雲」四句偈語。
萬壽山昆明湖碑:在排雲殿之東,碑上有乾隆御書「萬壽山昆明湖」六字,碑後是乾隆所撰《昆明湖記》,講述修建清漪園的理由。碑左右各有一座亭子,亭內有「轉輪藏」木塔,塔中有軸,推之使其轉動。此處仿杭州法雲寺藏經閣而建,不對遊客開放。
寶雲閣:在排雲殿之西。又稱「銅亭」。建於乾隆20年(1755年),高7.55米,重41.4萬斤,蟹青冷古銅色仿木結構,樑柱、椽瓦、斗拱、門窗、對聯全部用銅鑄成。門窗原被八國聯軍掠走,在1980年代由海外華人購得,捐給頤和園。
石舫:清晏舫,原名石舫。是一半入水的兩層石舫,長96米,上原有中式艙樓,1860年被焚,光緒重建時改為木製仿西洋大理石艙樓,並在石舫兩側加造明輪。石舫西北為小島,島上原有西所買賣街,兩岸仿揚州瘦西湖景色。
聽鸝館:在萬壽山前山西部。內有兩層戲樓一座,在修建德和園大戲樓前,這裡是慈禧太后聽戲的主要場所。館內古柏參天,館外有杏樹和翠竹。聽鸝館現為聽鸝館飯莊,經營仿清宮廷菜餚,內設貴壽廳、福壽廳、壽膳廳等十個餐廳。
畫中游:在萬壽山西部,依山而建,中為八角形兩層樓閣,東西為兩樓兩亭,東樓名「借秋」,西樓名「愛山」。各建築間有爬山遊廊和石洞相通,錯綜複雜,猶如迷宮。站在亭上四周環顧,有置身於畫中之感。
前山東部:有景福閣、自在莊、含新亭、養雲軒、意遲雲在、千峰彩翠、無盡意軒、寫秋軒、國花台等點景建築。無盡意軒和自在莊清朝為命婦退息之所。景福閣為慈禧太后觀賞雨景、月景之地。
前山西部:有邵窩殿、雲松巢、湖山真意、山色湖光共一樓、石丈亭等點景建築。邵窩殿之名取南北朝時宋朝邵康「安樂窩」典故,雲松巢取李白「吾將此地巢雲松」詩句,兩殿現均為頤和園工作人員休息處。
長廊西端,石丈亭北有一組院落,稱「西四廳」,戊戌變法失敗後,慈禧太后移居頤和園時將珍妃囚禁於此。西四廳西北有貝闕,又稱宿雲檐,乾隆時是清漪園的西門,上供關帝銀像。貝闕向北有並列的石橋兩座,東橋低平,西橋為拱橋。清漪園時期園牆從兩橋中間穿過,西橋在園外,東橋在園內。
後山
蘇州街:又稱買賣街。乾隆二十七年壬午(1762年),乾隆帝下江南,到蘇州遊歷唐代白居易修建的七里山塘,回京後在頤和園後湖仿照七里山塘的模樣修建了蘇州街。1860年被英法聯軍焚毀,光緒時期重建頤和園時未修復,1988年復建。
諧趣園:位於頤和園東北角。此園是乾隆於乾隆十六年(1751年——下江南時,看了無錫惠山腳下的寄暢園,仿其意而建,自然保有江南園林之美。諧趣園原名惠山園,1811年曾經改建並改為現名,為萬壽山東麓的園中園。這座園有「到門唯見水,入室盡疑舟」之美譽。園內水多橋多,最著名的橋是知魚橋。此橋橋身低平,貼近水面,能讓遊客觀賞魚群在水中來回穿行。橋坊上有乾隆皇帝命題的詩句。諧趣園的北部是正殿涵遠堂,此堂原為慈禧太后在此水池釣魚時休息之用,殿內裝飾精美雅緻,在頤和園里可說是上乘之作。另外,環繞水池的遊廊是一條景色多變的的遊覽路線,隨著每一轉折,必有新的景色出現在眼前。
四大部洲:位於後山中部中軸線上,仿照西藏扎囊縣的著名古寺桑耶寺,為漢藏風格的宗教建築群,居中為漢式建築香嚴宗印之閣,內供藥師、如來、阿彌陀三尊佛像,香嚴宗印之閣四周環繞藏式的四大部洲殿、八小部洲殿、日殿、月殿、四色塔。承德避暑山莊外八廟中的普寧寺布局與此相似。香嚴宗印之閣下原為須彌靈境殿,1860年被焚毀,未修復。須彌靈境殿前為松堂,是一座長方形廣場。
花承閣琉璃塔:位於後山東部,原為半圓形高台建築,1860年被焚毀,現存琉璃塔一座,太湖石及漢白玉浮雕海獸台基一座,以及柱礎、石階遺蹟。琉璃塔下部的佛像頭部被紅衛兵鑿除。
賅春園遺址:位於後山西部,為乾隆時修建的一處小型園林,園內最大建築為清可軒,是乾隆帝的書房,依崖而建,以石崖為其南牆。西隔桃花溝為丁香院,院南山崖上有香雲窟石洞,洞內有乾隆題詩和石座,洞西有十八羅漢摩崖石刻。賅春園1860年被焚毀,僅存園門一座,但台階、殿基和部分圍牆保存完好。
綺望軒遺址:位於後山西部山腳下,後湖旁。為乾隆時修建的一處小型園林,構造巧妙,地面隱蔽處有山洞,向下可直通湖邊石岸碼頭。