猜猜這是哪裡!?好有日式風格店面!
整個很喜歡這的氣氛~今晚一起來吃一波!
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位於南京復興捷運站附近的串燒店
喜歡營業至00:00,因為超適合我這種常常加班8點後才吃晚餐的,而大門口有超大燈籠好拍外,食物每個也都網美級的好拍!一起來享用美食吧~
☆爍場雙人套餐 NT999
◆田園和風沙拉
◆盛合刺身/綜合握壽司 2選1
◆爍場串燒盛合 6串
◆啤酒黑鑽雞
◆無酒精飲品 90元選2
雙人組合份量超多!!!!裡面大推啤酒黑鑽雞
☆炙燒和牛干貝燒 150/貫
超奢華組合,而且還現場直接噴槍火烤,
重點要一定要一口下去~推
☆酒蒸蛤利 280元
雖然有酒,但有特別處理過有香氣幾乎沒有酒精
☆黃金松阪豬 80元
我是松阪豬控超喜歡的~
☆特製生牛肉 220元
網美級好拍的生牛肉,上面還有生蛋黃直落,大推!!!
☆西西里橄欖油海鮮 320元
點心麵包搭配海鮮盤組合也很推薦
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加點啤酒,三個人吃下來價位也合理,重點是氣氛很棒,
推薦喜歡吃聚酒屋宵夜場的朋友們。
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店名:爍場 串燒 ‧ 夜食
地點:台北市松山區復興北路141巷6弄6號1樓
交通:捷運南京復興站6號出口,步行約3分鐘
時間:每日17:30-00:00
電話:02 25471685
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#鑠場 #消夜美食 #聚酒屋 #聚會 #松阪豬 #串燒 #台北消夜 #松山區美食
#啤酒黑鑽雞 #生牛肉 #炙燒和牛干貝燒 #和牛 #干貝 #跨年聚會
同時也有5部Youtube影片,追蹤數超過12萬的網紅王炳忠,也在其Youtube影片中提到,🔥支付寶打賞:13581883245 🔥王炳忠今日頭條:搜索「王炳忠台灣」 🔥王炳忠臉書粉專:https://www.facebook.com/bingzhong.wang ♦♦♦ 張雅琴、安幼琪等低級政媒人,跟風大搞仇中霸凌的操作,外省二代投獨獻媚更須走極端,說白了就是虛偽又醜陋的欺善怕惡,和我們...
鑠場 在 王炳忠 Youtube 的精選貼文
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🔥王炳忠今日頭條:搜索「王炳忠台灣」
🔥王炳忠臉書粉專:https://www.facebook.com/bingzhong.wang
♦♦♦
張雅琴、安幼琪等低級政媒人,跟風大搞仇中霸凌的操作,外省二代投獨獻媚更須走極端,說白了就是虛偽又醜陋的欺善怕惡,和我們小時候班上總有集體排擠羞辱弱小同學的霸凌一樣,多數人不是加入霸凌就是坐視不義,根本就是納粹法西斯,還想用台灣自以為是的傲慢嘲笑大陸不懂「言論自由」。呵,這話騙騙未經世事、陽春白雪、膚淺幼稚的覺青就算了,要真把這套身分歧視、抹黑造謠的粗鄙民粹當「言論自由」,只是凸顯打著民主反民主、做婊子還要立牌坊而已!
你們說大陸沒有民主,其實人家有一套中國特色社會主義制度,當中就包括新潮流內部長年遵循的「民主集中制」。就算不承認大陸的民主,那就拿你們崇拜的西方自由主義民主來說,人家的言論自由,是誓死捍衛不同意見者的權利,而你們卻是天天搞網軍批鬥、惡意檢舉、封人帳號、掀人隱私。人家的民主講法治,你們卻無視自己的憲法和法律,搞台獨可以,談統一不行!自己在野就可以無法無天、暴力衝撞,一旦執政便強勢執法、到處查水表。這叫哪門子「民主」?這叫四不像!
你們還整天拿「選舉」誇誇其談,窮到剩下選舉也甘願。但選舉的真相是什麼?不就是砸錢養網軍,控制一堆號,有雜音就檢舉對手,一堆號經營不同朋友圈,需要時就釋放同一套話帶風向,眾口鑠金曾參殺人!然後直播主也要迎合網軍風向,迎合了就是網紅,唱反調就準備變網黑,所以惡性循環,政治人物上到總統下到議員都要捧網紅,各種置入性行銷都是錢,一搭一唱造「戰神」,選完一場再一場,就是選秀搞轟趴,誰管殘酷的未來?
看看那些遊走兩岸的文化人、媒體人、政論人,時不時向大陸炫耀「台灣民主多可貴」、「自由空氣多美好」、「最美風景就是人」,還不忘裝腔作勢地說「請用文明說服我」。如今台灣反中反到連台商、血友病母子也要反,赤裸裸地展現對大陸配偶的野蠻暴力,怎麼不見這些「文明」人出來指責,也問一問「請用文明說服我」?不過就是欺善怕惡,假清高裝逼而已!
鑠場 在 飲食男女 Youtube 的最佳解答
一敲銅鑼,鼓鈸喧天,暮色沉沉的馬游塘村生猛了:金豬開陣,祝禱繚繞香燭,爐火熊熊蒸氣騰騰──村屋間空地搭竹棚張綵燈,筵開廿八席,熱辣辣葷素源源上桌來,觥籌交錯,賓主俱歡顏。
這是一場筵席包辦館「大來東南」主理的壽宴。食材爐灶、枱凳碗筷、侍應廚師統統到會來。從上世紀中葉起,大夥就像紅船戲班一樣鄉轉鄉,走過六七動盪、七八十年代經濟飛躍⋯⋯伙頭兵團今天髮稀了、背彎了,彈指間炒炸蒸燉,光芒依舊在。縱然行業日落江河,廉頗亦老矣,但這終究是他們的舞台,猶如大老倌踏出虎度門,必定傾力演出。
正月,是大來東南全年難得的忙碌時候,一個周日包辦了六七個筵席。人稱「倫叔」的老闆陳倫駐店調兵遣將:哪位師傅擅長哪些菜、走甚麼崗位、誰去煮日宴或晚宴甚至走兩場……他自詡為僱傭兵阿頭,「無僱傭兵,怎打成仗?我們有後生的,不是個個六十幾,八十幾也有,總之是耆英啦!耆英功夫夠,守門好,調味等等準確些。」倫叔八十歲了,依然精神矍鑠。
幾十年來他都行散工日薪制,有訂單就召集好兄弟埋班。這晚壽宴,他派出三個大師傅,四蒸兩炒六個爐頭,還有幫廚和雜工十三人。「我們包辦筵席,不可能跟酒樓一樣分工。」晚上十幾個樓面,日間已在油麻地店內劏魚剪蝦。
師傅也清晨六點多回店預備:需火候的燉湯、炸子雞上皮,以及每一個菜式的配搭得先做好。譬如「百寶鴨」,全鴨起骨,再釀入蓮子、銀杏、瑤柱、鹹蛋黃等超過八種材料,扣燜一小時,廿八席的鴨就花上好幾小時。筵席現場,師傅也「瓣瓣得」:砧板埋灶搬抬,隨時走位「執生」:上菜急起來也要掉下熱鑊去幫手排菜。「我們好似舊時打波,十上十落的陣形。」倫叔用荷蘭隊全能足球比喻。
包辦的承諾
藍田山上馬游塘村的壽宴,七點開席,午後雜工率先運來枱凳鋪設;師傅和食材工具在兩三點陸續抵達,起爐搭灶洗刷,肉食菜蔬調味料一一擺列開來。
五點多,鑼鼓響起,主家拜神;師傅開爐點火,首先熬煮糖水紅豆沙,而澆在大菜上的濃芡、炸油一一先推先熱待用;雜工披上白恤衫,變身侍應候命。準時七點,拜神金豬吃罷,冒着白煙好彩頭的「發財好市」啟動盛宴,主人賓客齊舉杯:「飲勝!」
大家酒酣耳熱之際,在爐邊起勁的師傅忽然停下來,翹首以待。原來主家要敬酒,樓面事前通報師傅歇一歇。「包辦筵席有一好處。酒樓一起菜就全部煮了出來。去到你府上就不是了:喂,師傅慢一點啦!遲幾個字再起菜啦!師傅就會停。」倫叔得意地說。
他強調,大夥臨時是主家的僕人,「也可以說是包辦的承諾,如果到時『我不喜歡做』,唔得!你幾大都做完那一晚。」像這天天氣不穩,主家搭的竹棚不能遮蓋廿八圍,要分頭二圍,大夥就分兩次煮食招呼,工時長了近一倍,酬金不變,也無怨言。
功夫,六十年前
這晚主家曾宏五兄弟為八十有一的母親擺壽。「我覺得在村搞到會很有氣氛。」曾宏說,原來四十多年前阿爺已跟東南結緣。跟冷餸翻熱的盆菜不同,筵席上每一道菜現煮現吃,那股熱辣辣給人驚喜連連:一條蒸魚上來,剛剛離骨,很嫩滑;熱炒燜煮,全是「小時候酒樓的味道」──沒複雜的化學調味,吃了不口渴。
賓主享用完鬆軟大壽包、濃甜紅豆沙,盡歡席散。師傅撤退,樓面收拾狼藉杯盤。時近午夜,大貨車盡吞爐具碗碟,消失於夜幕下;要不是賓主臉上的悅色酒氣,盛宴好像沒發生過。
倫叔說,筵席到會不是沒市場,飲食集團也設部門營辦,不過數獨立經營、既包辦「筵」(菜)又提供「席」(枱凳餐具)的筵席專家,九龍只怕剩下他這一家。而他,也入行超過半世紀了:1957年,十九歲的他由廣州來港做了一年錶行打雜,就投靠開包辦館的姑丈,從此走上包辦路。
「當時甚麼也不懂,何謂大雞三味?何謂四和菜三和菜?好烏龍。」知不足,學不倦。他晚上一有空就用舊報紙練字;看營業部怎樣寫菜單;入廚房偷師。後來他往外闖,包辦館、茶居,樓面廚房點心樣樣都做。「我們東南的事頭請人,席上揀菜薳,好挑剔,你不勤力不醒目他不睬你。」他先後入東南、大來兩間包辦館。兩店由甘日新和嚴志二人在1948年創立。1972年,兩位老闆退休打算結業,他於是和拍檔用盡十萬元積蓄頂手,把兩個字號合併成為「大來東南」。
筵有大小 無分階層
倫叔二十多歲就在包辦館當上大掌櫃。他回憶,行業在六七暴動前最興旺。大來經常到富貴人家的花園別墅做宴;主家一來喜歡包辦隨時候命,二來家宴私隱度高。那時,工廠在大時大節和廠慶也經常擺酒,「譬如唯一水壺廠、鄧芬記。有錢佬聚居的又一村、中半山、九龍塘,那時候很多……」倫叔不願提豪客名字叨光,只漏了嘴:「舊時總華探長是常客,現任不少高官警司也食過我們的餸菜。」
從前,包辦館街街也有,單是廟街已四五間,包括大來和東南。店本身也擺到三四圍,「那時無冷氣,太太們喜歡高髻頭,牛角扇吹到髻都歪了。」倫叔忍不住笑起來。六七年暴動後,有錢人紛紛離港暫避,兩店生意跌了八九成。及至七十年代,酒樓愈開愈多,「人家當然想嘆冷氣、更好的招呼和環境。」包辦筵席漸漸式微。
為了拓展生意,倫叔二十年前也做起盆菜來;沙士前甚至也做蛇宴。現在筵席和盆菜各佔一半。盆菜有幾百元一圍;筵席可達萬多元一席,但不多;千多元最平常。「貴婦狗生日請客仍然有;隱形富豪做生日、擺滿月,入伙一定要光顧我們啦!旺一下新屋。」他做得最多的是社團和大學千人宴。正月時,露宿者之家也訂了五席給附近油麻地、深水埗的街友。蒜香基圍蝦、菜膽百寶鴨、五柳炸石斑……他和師傅一視同仁用心炮製,佳餚趁熱派人連同摺枱碗筷用手推車送過去,服務周到無分階層。
老友一齊打天下
「我做了幾廿年,後生做到老了。」倫叔笑咪咪,總是腳踏白水鞋,手握一罐生力啤。接洽生意、買料、訂貨他一腳踢;廚房告急他就衝入廚房,樓面不行幫樓面。
「現在無人願意(接手)做這樣辛苦的事了。」大來東南到今天,打理人只剩他一個。人家退休坐公園,他很抗拒,有事做就開心,「回來認識多些朋友,老中青也認識一些,多好呀!同時跟社會不脫節。」
辦公枱上,毛筆墨盒放在手邊,他十年如一日為客人擬寫菜單。菜單值多少錢,他就買同等的貨給客人。「你不可以隨便一種貨給主人家,否則如何運作幾十年呀?蠔豉來說,客人需要大隻的金蠔或最大的沙井蠔,二百多元一斤,我需要買那些。小一點百多元甚至幾十元一斤,不同嘛!」
人隨行業走到日暮,倫叔一點不傷感。目睹同行一間間消失,唯獨大來東南撐了下來,他淡淡然說:「無人光顧,你就要結業。我們幸好有班老友記合作,圍威喂,打天下!」倫叔呷一口他形容為「生命之源」的啤酒,清涼、回甘。
舉重若輕 大師傅
謝龍師傅(67歲)
入行四十多年,去過上海、台灣做大廚。這日他中午和七十多歲的Man叔在上水煮了六圍,傍晚再來馬游塘村拍檔入行六十年的鄭成師傅炮製廿八席。一年之中,只年尾正月較忙,「如果靠包辦筵席搵食,真是無得食。」他在大來做散工三十多年,倫叔叫到,義不容辭。「當做義工舒筋活絡,是一種樂趣,大家老友傾吓偈開心點。」做廚師,謝師傅笑言:「客人讚好,證明自己煮得好。」
黃錫師傅(66歲)
曾在港島有名的包辦館歐燦記隨父做廚,二十多年前歐燦記結業,轉來大來。「上門到會好像酒樓,只是整個廚房搬過去,沒有搭棚的就在露天煮。」這天,他清晨六點多就返油麻地店鋪廚房張羅,蒸煮了七八成,現場來做兩三成。席散,其他師傅撤退了,他留下來搬搬抬抬,收拾物資上車,回店卸貨已過午夜。「做慣了, 沒甚麼問題。」錫師傅總是和顏悅色。
撰文:韓潔瑤
攝影:關永浩、葉天榮
大來東南筵席
地址:油麻地廣東道844號永發樓地鋪
電話:2780 3145
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横入り失礼します。
義兄一家が転勤で地元に戻って来た。
次男の私達夫婦は、義母が
病気して頼まれて同居していた。
義実家は、義父の母親の
大姑も同居中で、
ぼけてもないし
通院する趣味はあるけど、
大病はない九十代でも家事は
難しいので
義実家の家事は私が一年ほど
メインでして来た。
義父に家計費を渡されて
家計簿をつけてたし、
全てレシートも残し、
レシートのないものも
ちゃんと証拠になるように
買ったものの一部やら残して、
残金はちゃんと義父に返金し、
次月の家計費を貰う形にしていた。
ちなみに私達夫婦は家賃は
要らないと言われ、
食費等を入れると言ったら
家事をしてもらうので、
食費光熱費一切いらないと
同居に当って
義両親と話し合った時に決まった。
なのでなんら後ろ暗いことはない。
説明長くてごめん。
その義実家の状態を、
地元に戻って来て知った義兄嫁。
家の中をもまして
やろうという意地の悪い
考えだったのかはわからないが
義母にいろいろたきつけはじめた。
「義母さんが義実家の主婦なのに、
私さんがえらそうに家を
とりしきってるのは
外聞が悪いですね」
「結構な額の家計費を
私さんに預けているそうですが、
大丈夫なんですか?」
「誰かがちゃんと監査しないと、
私さんがふと魔が差したら
どうするんですか?」
などなど病気から回復してきて、
自分が病人で無くなったら
自分が家の中心だったのに、
私が成り代わっているのを
不満に思っていた義母をたきつけた。
それから義母は、私が
家計費を使い込んでいるんじゃないか
新しい服を買っているようだが、
家計費から買っているんじゃないかと
疑い始めて義父に愚痴愚痴
言い始めた。
義父は
「いろいろしてもらって
いるのに何を不満に思ってるんだ。
手術の時も二晩も付添して
もらったじゃないか
病院もずっと通ってもらって、
万が一服の一枚とか
家計費から出したとしても
もっと買ってもいいよって言うのが、
お前の感謝の気持ちの
一つじゃないか」
と
叱っていたらしい。
それを盗み聞いた大姑が、
全部私に報告してくれまして
ああそれで最近義母の態度が変で、
私の持ち物をいろいろ探る
ようにしてるんだとわかった。
私が出かけて駅まで行って、
大事なものを忘れているの気が付いて
それがないと出かける意味が
無いので、
あわてて戻った。
自室に行くと、義兄嫁と
義母がいて私のタンスを
あけて中をあさっていた。
「何してるんですか?」と
怒りに震えて声かけると
義母が
「これは何?どうやって買ったの?
あんた働いてないでしょ?」
と
旦那が結婚五周年だって
買ってくれた箱にいれたまま
大事に保管してた指輪の箱を
無理やり開けて押し付けて来た。
カーとなって
「うるさい!
人を盗人呼ばわりする前に
自分達が空き巣をしたことを
反省しろ!」
と二人を無理やり押し出して
すぐ貴重品をまとめて、
大姑には出て行くことを
言って出てきた。
旦那と義父にはいきさつを
まとめて長文メールをして、
そのまま自分の家に戻った。
自分の家と言うのは、
私が独身時代に住んでいた
マンション。
大学で上京するときに親が
買ったものを、
私が働き始めてから買い取った物。
築20年だけど駅ちかで便利なので、
結婚後も旦那と一緒に住んでいた。
家具も家電もそのままだから、
ときたま息抜きで戻っても
いたんだよね。
その後は義実家で大揉め。
私は行かなかったので、
旦那に聞いた話だけど
義母と義兄嫁はタッグを組み
私擁護は旦那と義父と大姑。
家計簿の監査は義兄がした。
なんら不正は
見つからなかったと義兄が報告したら
義兄嫁がぶちぎれ
「たとえなくてもあった
ように言うのが親孝行だ」
と言い張った。
義父が面倒見てもらって
感謝のない義母にも怒りが
こみあげるが、
人の家に立ち入ってもませる
義兄嫁にはもっと腹が立つ、
今後一切義実家に来るなと
言い出したんだって。
お決まりのように義兄嫁は
「長男が全部貰うのに、
何言ってるんだ。
将来の介護してやらない」
と 怒り出したそうだ。
義兄も義兄嫁に腹が立ったようだが、
子供がいるので離婚とかまで
行かないで
義兄嫁を義実家に出入り
禁止にさせると連れ帰り、
義母は旦那と義父に説教された。
我が家に義父が、義母を
引きずって来て、
謝らせたけど
私は
「泥棒とまで疑われて
これから先お世話などできません。
義兄嫁さんだけでなく私も
二度と義実家には行きません。
義実家から荷物を引き取る
時はお疑いでしょうから
義母さん立ち合いで旦那に
荷造りしてもらいます。
なんならこの家も家探しでも
しますか」
と言ったら義母が泣き出した。
その後私は義実家とも義兄
一家とも没交渉。
先日義兄嫁が義母と同じ
病気で入院することに
なったから助けて欲しい
と義兄嫁から電話があった。
手術しなくてはいけないけど、
子供を預ける人がいないんだってさ。
なんかいろいろ泣き言言って
いたけど、
録音だけして一言も返事
しないで言わせるだけ言わせてみた。
心細いので病院に付いて来て
欲しいとかも言っていた。
病気に詳しいんだから、
付いて来て医師の説明を
一緒に聞いてとかも言っていた。
最後は
「聞いてるの!助けてよ!」
とか泣いていた。
義兄嫁の実家は、母親が
継母でその連れ子が家に同居
してるから頼れないと愚痴られて
「私さんのマンションは駅に
近くて通院に楽だから病後は
子供と一緒に世話になりたい」
ってどこまで図々しいんだろね。
録音は義兄と義父に送り
「関わり合いになりたくない」
って旦那から言ってもらった。
義実家も今義母が更年期が
一気に来て、
今病気の事以外で寝たり
起きたりで 身体がつらくて
こもりきりで義兄嫁の世話
どころじゃないって。
義母が
「私さんに帰って来てほしい」
とか寝言を言っているから
義父に叱られたとか。
お、乙でした。
付け入る隙を与えないよう、
ご用心くだされ。
子供いないの?
旦那はマンションに付いてきたの?
乙。
馬鹿な義母だねぇ。
こんなきっちりした嫁を信用
するどころか、
新しく入ってきた嫁の言う
こと信じて苦労するとか
どうでもいいけども
ませるって揉めさせるって
ことなんだろうけど、
どこの方言なんだろう
盗み聞き大姑gj
ワタシも、ここの大姑さん好きだわ
義兄嫁、ダブスタにもほどがある。
欲の皮突っ張らせすぎて自爆
しちゃったのかな。
人の不幸をよろこぶ
わけじゃないけど、
お天道様はちゃんと見てたんだね。
鬼女だっけ?
因果応報スレがあったはずだけど、
そこでもいいような話だわ。
義父も義兄も「子供があ」
とか言ってないで離婚すれば
いいのに。
で、義父義兄大姑が力を
合わせて生活する。
大姑も留守番位できるだろうし、
義父は家事義兄稼ぎ手でいいじゃん。
たわごと姑義兄嫁は害しかない。
離婚したくないから離婚
しないだけでしょ
いちいち大きなお世話だよ
乙
この話で一番のバカは
義母だなしょーもない
あと「もめさせる」な
「もませる」だとドキドキしちゃうw
義母を放逐したら子供に
面倒をかけるから義父は離婚
しないでしょ。
義兄の方は嫁が
電話だけでなく実際に
押し掛けたり子供を放置したら
離婚に向けて動くだろうね。
親子の縁は切れないから面倒。
丑三つ時の愚痴にレス
ありがとうございます。
まず「家の中をもませる」
ですが方言ですね。
ごめんなさい。
人と人の仲を悪くさせる
ことを言います。
私の出身地の東海地方の方言です。
同居して義実家に入るために、
仕事を辞めましたので、
当時は無職でした。
別居してすぐに、妊娠して
子供が産まれました。
この子は義父と大姑に会って
もらってます。
大姑には特にかわいがって
もらってます。
実質は義兄のところにも、
曾孫はいるんですけど、
転勤先で生まれてほとんど
帰省して来てなかったので、
なじみがないそうです。
義父と義母は年の差が結構あって、
かわいい奥さんで甘やかして
しまったと
義父は最後まで面倒見る
気らしいですよ。
大姑さんは矍鑠として曾孫を
可愛がってくれてます。
大姑を九十代と書きましたが、
計算したらまだ八十代でした。
ばあちゃんに
「わたしゃまだ八十代だよ!」
と叱られそうです。
義実家は家政婦さん入れてる
そうですし、
大姑が困ってることは無いと
思います。
やっぱり東海地方か。
旦那の実家が東海地方の山の
方で姑さんが「もませる」を使う。
最初ドキドキした私は変人ww
確かに嫁の味方になれない
義兄はただの置物以下なんだよなあ
この場合、味方になったら
あかんでしょ
乙でした
何ともまあ性悪の義兄嫁ですこと…
大姑がいい人で本当に良かったね
乙でした。
子どもも生まれて幸せに
暮らしていてなによりです。
因果応報な話でちょっと
スカッとした。